4月12日のイースター礼拝説教より

『あなたはひとりではない』平松牧師

聖書:ヨハネによる福音書20章1~18節

週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

 ドイツのメルケル首相はイースターを前に「“その後”は必ず訪れます。」と語りました。イエス様の最期を見届けた女性たちも、逮捕時に逃げてしまった弟子たちも、“その後”は必ず訪れるという確信を誰も持っていませんでした。しかし彼らは、死から復活されたイエス様と出会い、紆余曲折の末にその先の大いなる希望を見出したのです。  マグダラのマリアはイエス様が葬られているお墓の入口をふさいでいた石が取り除かれているのを見て、イエス様のご遺体が盗まれたと慌てました。その一方を聞いたペトロともう一人の弟子は様子を見に行き、ペトロはお墓の中のイエス様のご遺体を包んでいた亜麻布等の状態を確認。もう一人の弟子は墓内の様子を見て、イエス様の復活を信じたのです。 マグダラのマリアがそうであったように、思ってもみないことが身に起きた時、誰もが冷静さを失ってしまうものです。彼女は墓の外に立って一人泣いていました。でもそこで復活のイエス様と出会いました。復活されたイエス様が彼女の名を呼ぶと、信仰の目が開かれ、彼女はようやくイエス様を見て復活を信じることができました。  大きな悲しみの中にあってもなお、御子イエス様を死からよみがえらせた天の神様があなたの名前を呼び、あなたの中の死んだものをよみがえらせようと一緒に奮闘しておられます。だからこそ確信を持ちたいと思うのです。わたしは一人ぼっちで闘っているのではない、イエス様をよみがえらせた神様が一緒に闘ってくださっている、と。このことに希望を抱きつつ、今できることを大切にしましょう。


日本キリスト教団 八尾東教会

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