3月29日の聖日礼拝説教より

『明日はきっと輝くだろう』平松牧師

聖書:ヨハネによる福音書12章20~26節

さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」

 エルサレムでの最後の日々、イエス様はギリシア人たちの来訪によって、すべての人に対する救いの時が来たことを悟り、「はっきり言っておく」と強調しながら、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」と言われました(12:23-24)。

 一粒の麦の粒がそのままであることを守ろうとすれば、一粒の麦の粒のまま死んでしまいます。しかし、その麦の粒が種皮という殻を破って自分を壊し、芽を出して養分や水分を受け入れ、他のものとつながれば、一粒が粒粒となって、さらなる実りへと豊かな命が育まれていくのです。

 イエス様はご自分の受けるべき十字架の栄光についてそのようい言われ、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。」(12:26)と。自分の中に閉じこもって、自分の思いに固執して自分を守ろうとするのではなく、自分を壊して神様とのつながり、そして人とのつながりを大切にする生き方を私たちに示されたのです。

 今、私たちは大きな困難を前にしています。イエス様も大きな受難を前に「今、わたしは心騒ぐ。」(12:27)と悩みながら、一粒の麦としての生き方をまっとうされました。そんなイエス様とつながって、困難な中にあっても悩みながらでも、明日への希望を捨てずに、それぞれが今できる最善のことを大切にしていきたいと思います。


日本キリスト教団 八尾東教会

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