3月15日の聖日礼拝説教より

『出会いからはじまる』平松牧師

聖書:ヨハネによる福音書6章60~71節

ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダは、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

 イエス様は「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」(ヨハネ6:51)、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(同6:54)と。しかし、イエス様を慕ってきた多くの人々は「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」と離れ去ってしまいました。

 そこでイエス様は十二弟子に「あなたがたも離れて行きたいか」と問いかけられました。ペトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と、その時の思いを精一杯に言葉にしました。

 イエス様を慕っていたはずの人々の中から脱落者が出る、また信頼を寄せていたはずの十二弟子の中からも脱落者が出る、しかしそれでもイエス様は毅然と立ち続け、十字架への道行きをなおも進まれました。その姿にあなたは何を見ますか。

 出会いによって始まった主イエス様との関係は決して消えません。どこに転ぼうとも、それでもなお最後まで見捨てずに向き合ってくださいます。だからこそ、使徒パウロは「主を信じる者は、だれも失望することがない」という聖書の言葉を宣言することができたのです(ローマ10:11)。


日本キリスト教団 八尾東教会

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