2月9日の聖日礼拝説教より

『しかし、私は主によって喜び』咸伝道師

聖書:ハバクク書3章16~19節

それを聞いて、わたしの内臓は震え その響きに、唇はわなないた。腐敗はわたしの骨に及び わたしの立っているところは揺れ動いた。わたしは静かに待つ 我々に攻めかかる民に 苦しみの日が臨むのを。いちじくの木に花は咲かず ぶどうの枝は実をつけず オリーブは収穫の期待を裏切り 田畑は食物を生ぜず 羊はおりから断たれ 牛舎には牛がいなくなる。しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし 聖なる高台を歩ませられる。

 ハバクク書2章1節に「神がわたしに何を語りわたしの訴えに何と答えられるかを見よう。」と書いてあるように、ハバククは神様に苦難を与える神様の本意を知りたいと聞きました。それに対して神様は4節「神に従う人は信仰によって生きる。」、14節「水が海を覆うように 大地は主の栄光の知識で満たされる。」と答えました。

 イスラエルの人々が奴隷状態であった時に、水が海を覆うようにして、神様はイスラエルの人々を救い出し、その苦難を通して、イスラエルの人々が伝道に励み、試練の中にいる他人を愛することを願われました。ハバククは神様の本意を知った後に、ハバクク3章18節「しかし、わたしは主によって喜び わが救いの神のゆえに踊る。」と歌っています。

 このように私たちが人間的に計画していたことが崩れ落ちて、思い掛けない苦しいことが起きても、この苦難を通して、神様が私たちを新しくしてくださり、苦難の中でイエスキリストの十字架の愛が私にも隣人にも共にいてくださるので、「わたしは主によって喜び」と信仰告白ができるのです。この信仰告白こそ、神様が私たちに苦難の中で与えようとした、贈り物であり、喜びなのです。



日本キリスト教団 八尾東教会

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