日曜のあしあと 2月10日

2月10日の教会学校は…

いつもの子どもたちもお休みで、大人たちだけで礼拝をおささげしました。


聖日礼拝は…

いつもは月の第1日曜日に行う誕生者祝福のひととき、都合によりこの日となりましたが、一人ひとりのために祝福の祈りがささげられました。


礼拝後の「交わりの会」は、いつものように菓子パンと紅茶で、みんなでおしゃべりタイムとなりました。

また、2月誕生者のお祝いに「♪ハッピーバースデー」を歌いましたよ!


2月からプロジェクター投影をはじめました


聖日礼拝説教より

『いつも見守られて』

聖書:ルカによる福音書6章1~11節

 

 ある安息日に、イエス様が麦畑を通りかかった時、弟子たちは麦の穂を摘んで手でもんで食べた、と言います。これについて、ファリサイ派のある人々が「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」、つまり律法違反ではないかと言い始めたのです。

 貧しい人や寄留者のために、収穫後の落ち穂は拾い集めず残しておくことが律法上の規定でした(レビ記19:9-10)。旅人も同様。しかし、ファリサイ派の人たちはイエス様たちの行動を強引に収穫という労働と見なしました。彼らの悪巧みを見抜いたイエス様は、サムエル記上21章の、ダビデのエピソードを例に挙げて反論されました。

 また、他の安息日には、イエス様は会堂で教えていた時、右手の萎えた人と出会いました。律法学者たちやファリサイ派の人々はナザレのイエスを訴える口実を見つけるために、その行動に注目していました。そんな彼らの悪巧みを見抜いたイエス様は「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」と。利き腕が不自由であれば生命の営みそのものが困難な状況にあったのです。それゆえ、イエス様はこの人を癒されました。

今この時も、イエス様は一人ひとりの命を支え、その魂を救うため、神の御心という善い行いをなしてくださるお方なのです。

(平松牧師)

日本キリスト教団 八尾東教会

〒581-0831 大阪府八尾市山本町北7丁目8−2

Tel&Fax 072−922−6677

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