日曜のあしあと(7月15日)

最終更新: 2018年7月21日

この日の教会学校には、常連さんは家庭の都合で出席できないことがわかっていましたが、大阪女学院の高校生がきてくれました。

こども礼拝のお話は教会学校スタッフの信徒が担当しました。


聖日礼拝には、近くに住んでいるという韓国人のご夫婦が初めて来てくださいました。頻繁にあることではないのでとても嬉しいですね。

引き続き来てくださるといいなぁと期待しています。


また、西日本豪雨災害の救援募金を呼びかけました。同じ市内に、キリスト教NGO団体の日本国際飢餓対策機構があります。被災地各地の教会と協働して、救援活動を行っておられます。その尊いお働きを覚え、後方支援できればと思っています。




礼拝後にはいつものように交わりの会が行われましたが、上記のご夫妻も参加してくださり、みんなで軽食をいただきながら楽しいひとときを過ごしました。


その後は週報発送の準備を有志で行いました。感謝です。


聖日礼拝説教より

『何を持っていますか』

聖書:コリントの信徒への手紙二 6章1~10節


 使徒パウロは教会内の不一致などの問題を抱えていたコリントの信徒たちに宛てて手紙(コリントの信徒への手紙一)を書き送りました。パウロに反感を持つ者たちが彼が使徒としてふさわしい人物なのかを疑い始めました。そこでパウロは神から遣わされた使徒としてどんな時も誠実に生きてきたことを力強く証ししました。

 そして、彼はこう言います。「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。」と。御心にふさわしくない疑いや論争に明け暮れるのではなく、神の恵みを無駄にしない信仰者としてのあるべき姿を伝えます。コリントの信徒たちがキリストの共同体として互いに成長するよう願って。

 神は私たちが無感覚になってしまった人生の領域にまで入り込んで働きかけてくださいます。信仰とは人間の力の可能性ではなく、神の力の可能性への信頼である、と言われます。救い主イエス・キリストの背中に、言葉に、行いに、足跡に、神を見ようとするとき、自分の人生の中で無感覚になってしまった目に見えない大切な領域があることに気づくでしょう。それはすべてを持つ神だけが手を出すことのできる領域です。

 その領域が自分の中にもあることに気づいた時、神が共におられることを信じ、「死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、貧しいようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」と安心して言うことができるのです。

(平松牧師)

日本キリスト教団 八尾東教会

〒581-0831 大阪府八尾市山本町北7丁目8−2

Tel&Fax 072−922−6677

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