日曜のあしあと(6月17日)

この日の教会学校には、いつもの常連さんに加え、大阪女学院の高校生1名が来てくれました。こども礼拝の説教は平松神学生の担当でした。

礼拝後には7月の掲示板用の折り紙飾りをみんなで作りましたよ。

聖日礼拝の説教は咸同奎神学生が担当しました。ドキッとするようなエピソードやらユーモアにあふれたエピソードを交えながら、聴衆の背中を押すような力強いメッセージでした。


これまで、主日礼拝のお話をカセットテープに録音してきましたが、この日の礼拝分からデジタル録音してデータをパソコンで保存、要望があれば、CDにもカセットテープにも複製ができるようになりました。


礼拝後にはいつものように交わりの会が行われ、軽食をいただきながら皆で楽しいひとときを過ごしました。


午後3時30分からは兵庫教区・喜音伝道所(宝塚市仁川)の就任式に八尾東教会より5名で出席しました。3月まで八尾東教会の伝道師として2年間ご奉仕くださった確井先生の就任式、とても祝福に満ちたひとときでした。


聖日礼拝説教より

『指先に水を浸し、わたしの舌を』

聖書:ルカによる福音書16章19~31節


 陰府に行った金持ちと天の御国に行ったラザロの譬話から分かることは、金持ちの名前は書いて無く、貧しくて体が不自由だったラザロの名前が聖書に書いてあります。ラザロという名前は、エリエゼルーエルアザル、神は助けるという名前の短縮形として、それに見合った、信仰のある人であると伺うことができます。また、ギリシャ語の聖書をみると、横たわっていたと書いてあるので、ラザロは体の不自由な人だったことが伺えます。

 ユダヤ人社会においては、金持ちは尊敬され、その名は世の中に知られ、その反面貧しい人は軽蔑され、だれもその名前を知ろうとしないし、人に知られることもありませんでした。それにもかかわらず、聖書の御言葉においては、金持ちの名前は全然、出てこなく、貧しい人のラザロの名前は、はっきり聖書に書かれています。神様に名前が呼ばれることは、神様がその人を知っておられるからであります。それはこの世で、どんなにお金持ちで、人々から尊敬されても、自分の家の門前に来た貧しい人を顧みない人は、名前も呼ばれない「わずかの間現れて、やがて消えて行く霧(ヤコブ4:14)」にすぎないし、たとえ貧しくて、体の不自由な人であっても、神様は助けるという名前が与えられるほど、ラザロは神様の方を向いて助けを求める信仰を持っていたので、その人生が神様の御手に委ねられたのです。

 私たちは、陰府に行き、「指先を水に浸し、わたしの舌を」と言うのではなく、この世で水一滴で命が助かる人にキリストの命の水、何かのことで苦しむ人に温かい神様の愛の言葉をかけることができる八尾東教会一人一人になることを主に願い求めます。

(咸神学生)

日本キリスト教団 八尾東教会

〒581-0831 大阪府八尾市山本町北7丁目8−2

Tel&Fax 072−922−6677

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